「世界は贈与でできている」(近内悠太)
この正月に「世界は贈与でできている」という本を読み、感銘を受けたり、コロナ禍の中で特にいろいろ考えさせられました。
贈与というと仕事柄、贈与税に関係するのかと思ってしまいますが、ここでの贈与は、堺学や哲学での意味で、お金や物の贈与とは限りません。
本文は「すべてはヒトの「早産」から始まった」の話から始まりました。
贈与と何の関係があるのか?と思って読んでいくと、ヒトは他の動物と違って、自分で何もできない未熟な状態で生まれてきます。だから、子供を育てるには周りの助けが必ず必要になります。
そして、この事が太古からヒトの社会では、見返りを求めない助け合い(これを「贈与」と言います)を前提に生きてゆく様に運命づけられたと書かれていて、なるほどと納得しました。
この最初のエピソードから、どんどん引き込まれていきました。
私が印象に残ったのは・・・
世の中(私たち)は、アンサング・ヒーロー(歌われない英雄=人知れず社会の為に貢献する人)からの見えない贈与に支えられているということです。
この贈与に気づいた人だけが、その贈与を受けることができて、再び、その人がアンサング・ヒーローとなって、また、人知れず社会を支える主体となるのです。
私たちは、このような見えない贈与に支えられ、その返礼として自らも見えない贈与行っているということです。
社会はこの様な贈与の連鎖によって支えられ、その結果安定が保たれているのです。
社会の安定(正常さ)はほかっておけば自然に保たれるものではないという当たり前のことを改めて考えさせられました。
また、仕事のやりがい、生きる意味は、ギブ&テイクの様な「等価交換」からは生まれず、「贈与」の宛先からの逆贈与によって返ってくるものでだということも感銘しました。
そして、その見返りの贈与は最初から期待するものではなく、知らぬ間に偶然に返って来るものでもあるのです。
日々の生活で、謙虚さと表にでない人たちへの感謝を忘れてはいけないことを改めて思いました。
日本人がよく使う、誰に向かって言うでもない「お陰さまで」という言葉にはこの精神がよく表れていると思いました。
これからも「お陰さまで」という感謝の言葉を大切にしていきたいと思いました。
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