第九を聴く
こんな話をしていいのかどうかわからないって言って書いているけれど、
今日は実家の父の1周忌法要だった。
1月の初めだったので、あと1ヶ月で丸一年になる。
癌が見つかったのが年の瀬も押し迫った?クリスマスの頃だったので、
取り合えず入院はできず、本人には病名は告げずに年を越したかたちになった。
年を越して、最初は食べれない・・というのが、そのうち痛みが出始めたので、
在宅介護支援のお医者さまに点滴で痛み止めを入れてもらったりして、
もう1週間後に、このままだと家で診れないからホスピスに・・と見学の予定をしていた。
でも、数日中にみるみる血管が細くもろくなっていったので、本人は点滴も嫌がって、
本人も家族も、辛いなぁ・・うぅぅぅぅ~とへこたれそうに(岐阜弁でしょうか?)なっていたら、ある夜、誰も気が付かないまま父は旅立ってしまった。
ハッキリとは本人に確かめていない。ちょっと怖い存在だったし、そんなこと聞いたら縁起でもないって怒り出すかもしれないし・・
でも、父の希望は、できるだけ病気で寝付くことは避けたい。家で最期を迎えたい。
って思っていたに違いなく。だって、家に来てくださる看護師さんたちにも、
もう治療はいいで帰ってくれ!って言い続けていたし、なにせ注射が大嫌いだったし。入院なんて短期間で済ませるもんだ!って考えていたのだろうし。
娘としては、長年大事に育ててくれて、結婚後もずっと見守ってくれて、何不自由ない暮らしを送らせてくれた父に、最期くらい年末年始つきっきり?でいろんなお世話をできたらよかったのに、私の意気地がないものだから、きょうだいに任せてしまったり頼んでしまったり押し付けてしまったり、ダメダメな娘でごめんねっていう気持ちで今もいっぱいだ。
でも、父の希望通り、寝付いてしまうことも短期間ですんで、癌になってもなお入院することもなく、自分で建て、養生してきた家で最期を迎えたのは、すごく幸せだったんじゃないかと思ったりして、自分も慰めて、父のこともよく頑張ったねってほめたたえたい気持ちもあり、
人の最期としては最高だったよね!って亡くなってこのかた、父にいつも話しかけている。
後のことは心配ないから・・とは言えないけれど、
お父さん、頑張ってよかったね。家で死ねたもんねーと話しかける。
今日、友人が岐阜市民会館で第九を歌うのに参加すると聞いていたが、
法事が決まっていたので、失礼するからね^^と伝えてあった。
しかし、知ってか知らずか、お寺さんがお経をスピードアップさせてくれ、
当日券を買って客席にもぐりこんだ。
以前、大阪城ホールで参加するって聞いたので、
大阪まで応援にいったことがある。
その時は、ゲストの朗読などあって本格的なものだった。演奏も長尺のものだった。
が、テレビ中継でみているような感覚になって、歌声も会場が広すぎて、その場にいて聴いている臨場感があまりなく、すごい広いねー、すごい人数だねー、長かったねー、みんなよく頑張れるねーみたいな感想を持ったことを覚えているだけだけれど、
今日は初めて、第九を聴いて、泣きそうになった。
友人の彼女も、口を大きく開けて頑張って歌っているのを肉眼で見ることができたし、
オーケストラの演奏もはっきりくっきり、クリアに聞こえ、胸に突きささってくる。
そして最後、第九が終わって、ほたるの光のコーラスになった時には、
胸の中でえーんえーんと大声で泣いていた。涙は流さなかったけれど・・
お寺さんの法事の度にあるお説教が、いつも同じだなぁ~と本日も思ったけれど、
第九のコーラスを聴いている途中から、胸にストン!と落ちたのだ。
「人は、死んでこの世からいなくなります。それは事実です。
ですが、お浄土に生まれ変わるんです。お浄土に新しく生まれるのですよ」と
歓喜の歌を、父に贈りたいって思った。